人新世から考える ビジネス、政策、 アカデミアの変革

HITE研究者

2020.09.01

この座談会が収録された2020年3月は、新型コロナウィルスという人の目には見えない存在に世界中の人々が翻弄されている最中であった。2019年に日本の各地に多大な被害を与えた台風も、気候変動に伴い今後もその勢いを増していくと見られている。人間中心でものごとをコントロールできるという過信をいま一度見直していくべき時期を迎えている。不確実な時代の転換点に、ビジネスや行政、アカデミズムがどのように対峙していくべきかが話し合われた。

出席者は内閣官房イノベーション総括官の赤石浩一氏、リアルテックファンド代表の永田暁彦氏、東京大学大学院法学政治学研究科教授で「人と情報のエコシステム(HITE)」の研究開発領域総括補佐を務める城山英明氏である。

人類絶滅を見すえた、社会とビジネスの再構築

赤石浩一(以下、赤石):本日のテーマである人新世についてからお話しすると、50億年の地球の歴史の中で生物は数回絶滅しています。さらに、あと50億年すれば地球自体が赤色巨星化した太陽に飲まれて滅びるでしょう。それはさておき、より「短期的」にみてもこのまま人口が増えすぎて絶滅するのか、自分で開発した技術により絶滅するのかは分かりませんが、いずれにせよ地球の歴史を踏まえると、人類は絶滅に向かってまっすぐ道を歩んでいるという問題意識を我々は持つべきです。
人間が絶滅しないとすれば、それは奇跡と言えますが、その可能性の根拠はいくつか挙げられます。まず人間はこれまでの生物と違って認知能力が相当高く、未来のリスクを予測することができること、そして気候変動を止めるための知見と能力を持っている可能性もあります。また過去に絶滅した他の生物と決定的に違うのは、宇宙空間に飛び出していった唯一の生物です。地球が人の住めない環境になったら宇宙空間に出て行くという選択も技術的には可能になる。つまり生きる空間を自ら拡張できる生物だということです。宇宙だけではなくサイバー空間もそうですね。地球全体の人類がインターネットによってつながりを持てる。このような人間が固有に持つ特徴を生かして絶滅を避けるには、やはり根本的に人類生存環境のデザインを変えなければなりません。

永田暁彦(以下、永田):いま新型コロナウィルスによって経済活動にも打撃が走っています。「経済を止めてはならない」という声も多数ありますが、僕はむしろ、たとえ経済を止めても何をして生きていくべきかをみんなが考える良いタイミングではないかと感じています。
まず前提として、ビジネスとは人が生存したり新しいフロンティアを開拓したりする際に、お金やモノとの契約関係を結んで、社会における血液のような循環を作っていくためのものです。当初は生き物としての生存のためでしたが、産業革命以降はビジネス自体の存在意義が拡大していきました。けれど、いまは地球温暖化をはじめコロナ禍を生き抜くという、人類の生存に関する共通課題への解決がビジネスチャンスにもなっているのは興味深い傾向だと思います。その動機がなんであれ、結果的に人類の貢献につながる可能性がある。
関連して最近注目しているのは「ESG(Environment、Social、Governance)」というキーワードの存在感です。ただ資本を拡大していくだけの経済活動が完全に否定され始めている。例えば社員構成比に人種やジェンダーによるバイアスがある会社のIPOを金融機関が受け取らなくなってきているなど、ガバナンスが正常に機能していることが企業に求められるようになってきています。技術においても仕組みにおいてもビジネス自体が大きく変容しているいま、このような大きな問題への対峙の仕方も変わってきていると感じます。

赤石:社会インフラに関してもそうですね。対COVID-19政策として、シンガポールや中国など感染拡大の抑止に現状ある程度成功している国は、感染者が見つかるとすぐに過去2週間の足跡や接触者の情報を追跡しています。もちろんプライバシーの問題はありますが、該当者に通知を送って、すぐに検査ができるように進められているのです。AIに関しても然りで、仕事や産業構造、高等教育もふくめた教育のあり方なども再構築が必要です。さまざまな側面から、社会をどうデザインし直すかを真剣に考えるべき時代を我々は迎えていると思います。

永田:そのデザインの再構築にあたって、未来に何を残していくかの選択を誰がどのような基準で決めていくのかという問いにはとても興味があります。自国を生き延びさせることと世界の80億人を救うことは、それぞれ異なるゲームです。この意思決定に関わる信念がさまざまな政策に影響を与えると思います。それは、もしかしたらポスト民主主義の到来という話にもなるかもしれません。

赤石:私は日本の政策担当者として、日本人を全員生き残らせるためには教育から始めるしかないと思っています。まずは国民がAIのリテラシーを持つようになる、それを踏まえて創造的思考ができるようにする。義務教育から高等教育機関まで、あらゆる改革を早急に検討しないといけません。

人文知の視点なくして環境問題は解決しない

城山英明(以下、城山):ビジネスや政策の役割と対比すると、我々の歴史上の立ち位置を認識すること、それに基づいた課題設定をすることがアカデミズムにおける人文知の重要な役割だと思います。例えば、人新世を考えることとSDGsはどう違うのか。SDGsは皆で解決すべき項目として、国連が提示したチェックリストです。しかしながら、現実の世の中の課題はあまりにも不確定要素が多く、そもそもどこに課題が潜んでいるのかもわかりません。
むしろこれは正しく全て対応すべき課題に進むというよりは、有事の際にあるポイントで踏みとどまることが求められるチェックリストと捉えるべきです。そこではある種のトレードオフが発生します。地球温暖化を食い止めるには、経済活動を抑える必要があるといったように。今回のような不測の危機が起きた際にも、全員の健康も経済状況も同時に解決するのは無理だとして、どのように優先順位を持つべきなのか。先ほどのESGのお話でいうと、温暖化問題は過去30年近く議論が続いていますが、ビジネスや投資の観点からは温暖化に伴うトレードオフをどう考えるべきなのでしょうか。

赤石:先進国として温暖化対策に取り組むべきと言いながら、実際は金融機関やNGOが貧しい国にCO2排出を任せているにすぎません。押しつけられた国の側からすると、生きるための労働や生活の結果としてCO2が排出され続けていく。これは哲学や倫理の問題です。まず先進国と貧しい途上国とでは時間軸が異なります。途上国からすれば、数十年後に起きるとされる温暖化よりも、自分たちがあと10年間生存できるか否かが問題になります。ですから、こうした気候変動の問題は科学者の観点のみでは絶対に解決できません。

城山:まさにそこで人文知と科学、その他あらゆる領域の学問が集まることの意義を感じます。

赤石:おっしゃる通りですね。例えばAIの議論をする際に日本人はシステムやアルゴリズムから入ります。ところがアメリカでは、AIの議論をする際には、そもそも罪とは何か、差別とは、善とは何かといった哲学に関わる議論から入ります。
COVID-19対策も科学のみで議論できない問題の典型例ですね。感染者のトラッキングに伴うプライバシーの問題、新薬やワクチンの開発においても倫理的な問題が生じます。平時であれば我々は中国における個人へのプライバシー侵害を非難しますが、COVID-19対策においては多くの人が中国やシンガポールの対応を称賛する。いま、もはや哲学抜きに2050年までの政策さえも語れない状況になっていると痛感します。

永田:僕は社会が変わるためには、技術開発と意識変容の両方が起こる必要があると考えています。どれだけ新しい技術が開発されても、人々の意識が変容しない限り社会変化は起きません。例えば最近は5Gの実用化が話題ですが、5Gの通信速度向上が果たしてコンテンツのダウンロード時間を短くするのか。実際には5Gに適応した重いデータのコンテンツが乗るだけかもしれません。5Gが技術の話、コンテンツの重さが意識の話の例え。これまでの技術進歩はずっとそうでした。

城山:そのふたつを同時に考えることは重要ですね。一方で新しい技術が導入されることで、社会の意識が共進化することがあります。例えば歴史をさかのぼると、印刷技術の普及によってナショナリズムが台頭したという説があります。

永田:なるほど。ただ意識変容のほうに重点を置くと、哲学の基本は自らをメタ認知することだと思いますが、数十億人もの人々が自分たちをメタ認知し、「こうあるべきだよね」と語り出すような光景は想像しにくい。その中で僕が最近興味深く見ているのは「Z世代」以降の若者たちです。従来の消費欲求よりも暮らしかたやエコ性を重視する彼らにおいて、その行動や意識は確実に変わり始めていると感じます。

赤石:Z世代やミレニアム世代にとって、インターネットの影響は非常に大きいですよね。いままで自分のことしか考えていなかったのが、自分たちを取り巻く社会や国のことを考えるようになる。常時ネットに接続しているいまの若者たちは、意外と世界のことをよく考えていると私も感じます。

永田:政府が有権者を意識するように、企業は投資家と消費者、労働者を意識します。つまり労働者の企業選択理由と消費者の商品選択理由、さらには投資家の投資選択理由が変容していくことを経営者は強く意識するということです。1万人の意識を変えるよりも経営者ひとりの意識を変える方がよりインパクトが大きい。だとすれば、ステークホルダーの選択の動機が変容していくことで世の中は大きく変わっていくはずです。ただ、行政において国民の意識が変容する方法はちょっと分からないのですが、赤石さんいかがでしょうか。

赤石:スウェーデンの若い環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが「フライトシェイム」という言葉を発信し、広く使われるようになりました。飛行機に乗ることは環境に負荷を与える恥であるという意味です。COP(国連気候変動枠組条約締約国会議)はCO2を減らすためという名目で、シャンデリアの煌々と灯る場所に何万人の人たちが世界中から飛行機で集まり、意味のない議論を何日もやっています。それをトゥーンベリさんは「その行為自体がおかしいじゃないか。真面目に議論をしろ」と喝破した。いわばCOPが裸の王様であることを看破したわけです。そうすると、まず彼女の周りの子どもたちが共感して、大人も共感して、とうとう「不要不急のフライトを控えましょう」と航空会社までが言い出したわけです。このようにミレニアム世代あるいはZ世代のコモンに対する意識は我々世代とはまったく異なります。彼らもそうですが、自分たちの世代にとっての死活問題として課題に対峙することは、国民の意識変容にものすごく大きなインパクトを与えると思います。

永田:いま弊社ユーグレナでは石油に依存しないバイオジェット燃料の研究開発を続けていますが、いまの経営者たちを説得するには「バイオ燃料のほうが儲かります」という論法以外に説明できない。しかし、これまでとは異なる価値基準で選択する人たちが増えてきたらどうなるか。あと10年もすれば、世界の労働者の半分以上がミレニアム世代以下になります。そのとき、収益以外の価値方針をもった企業のほうが良質な投資と優秀な人材を獲得できるのではないかと思います。
ちなみに、世界で最もバイオ燃料の導入を進めているのはインドなのですが、環境負荷への対策ではなくあくまでも石油輸入に依存しないことが主目的です。それでも結果的にCO2の排出量を減らすことになります。人間はシンプルにひとつの目標だけに向かって動き続けることはできません。しかし、目標にフックをかけながら政策の整合性や自己の承認を実現できる仕組みに変え、技術が進歩していくことで、人類が生き残る道に少しずつ近づいていくかもしれないと思います。

アートは社会の意識変容につながる

―アーティストはいまの社会の中に潜在する欲望、あるいは未来のリスクをいち早く感知する存在でもあります。次の世代が持つ新しい欲望はサブカルチャーやアートの中にその片鱗が表れていることが多々ありますが、そのような兆しとビジネスや政策との関連性について、どうお考えですか?

赤石:アーティストの役割は非常に重要です。文字や数式だけで伝えられないものはこの社会に多々ありますが、彼らはそれを伝えることができるからです。例えば、ピカソのゲルニカやショパンのエチュード「革命」からは、明らかに言語に収まらないイメージが伝わってきます。人間は全体の感性で感じることがないと意識変容が起きません。そのためにこれからアートは必ず必要になるのだと思います。

永田:もともとArtの語源はArsですよね。自然な状態ではなく人の手が加わったものがアート、あるいは技術である。例えば日本には自然信仰があり、山や森が聖なるものであるという意味付けがなされてきました。けれど、もともと自然が人間のような意志を持っているわけではなく、共に生きる方法として人間側が意味を見出してきたわけです。同様に、アートに意味や哲学を持たせるのも、受け手側が勝手に意味を持たせる場合も多々あると思います。それはビジネスやサイエンスもしかりです。
ただビジネスにおいては、投資家が石炭火力に投資しないと決めることで社会に強烈なインパクトを与えます。科学者がCOVID-19の治療法を発見したら、これもまた社会に多大なインパクトを与えるでしょう。同様に、アートにおいても社会的なインパクトを与える事例が必要だと僕は考えています。その力を体感させていくことで、行政やビジネスの中におけるアートとの対峙の仕方、場合によっては活用の仕方が変わっていくのではないでしょうか。

城山:歴史をふりかえると、例えばギリシャ哲学の世界で「民主主義」はあらゆる政治体制において最悪なものとみなされてきました。それが近代になって、決して良くはないけれど他の主義と比べれば相対的にまだマシという評価になっている。さらに言うと古代ギリシャの人たちは「労働」という活動も最悪で、あんなものは奴隷がやることであって、人間がやることではないと言っていました。人間は暇であることが重要であり、アートもふくめて実益的ではないことをやるべきだと。これからのビジネスや政策を考える上では古典の参照もヒントとして重要になってくると思います。

赤石:とはいえ、どれだけ矛盾をはらんでも現代の国家において民主主義は否定できない問題もありますよね。同じように、温暖化問題に対して少しでも疑念を挟むと圧殺されます。アートはそこに異なる価値観を投入し、新たな発言や思考の機会を与える役割になるのではないかと思います。

永田:かなり大局的な話をすると、高齢者が加齢とともに意識がはっきりしなくなるのは、近い将来自分に訪れる死の恐怖を緩和するという機能が働いているからという説があります。それと同様に、先進国の出生率が下がるように、人類が種を残す欲望を失いつつあるのは絶滅に対する準備が始まっているからかもしれません。これは言うなれば幸福な絶滅論であり、人類は防衛本能として心理的な苦痛を抱くことなく絶滅を受け入れ始めているとも考えられます。見方を変えれば、これは人間が無意識のうちに、人類としての種の保存から個人の幸せを重視するようになっているとも考えられます。
一方で生物として生存することが当然となった先進国においては、人類は大きく3種類に偏っていくと考えています。まずは内発的に発信するアーティスト。それから起きている事象の真実を見極めることで新しい発見をするサイエンティスト。彼らはフロンティアを開拓していきます。その人たちが人口の5パーセントだとすると、残りの95パーセントの人たちは、生存がほぼ確定している以上は、承認欲求で生きていきます。その承認欲求を満たすのは、いままでは学歴や経済力などでした。ただ、経済力はもともと生物としてのサバイバルスキルの延長です。ところが生存が高い確率で保証された社会になることでその価値が相対的に減っていく。そうすると今度は、お金よりも価値がある何か、例えば研究者に対する研究支援やアートなどに価値が変容していく可能性が高いと思っています。
いまは環境問題を重視する動機として、地球環境の現状を正確に理解している人たちがいる一方で、社会的つながりや社会的承認を重視する人たちが増えています。そのことに僕は希望を抱いているんです。

自由な研究環境を実現させるために

—アートに続いて、人文知をはじめとするアカデミアの社会的役割はこれからどうあるべきでしょうか。

永田:これまでアカデミアの意義のひとつは、経済や政策から切り離されて存在していることにありました。けれど、いまはどんな研究も経済効果があるかどうかにひも付けられてしまっている。まずその状況から脱却させる仕組みが必要だと思います。例えばユーグレナでは、先端研究に対して研究者は稟議無しで好奇心を元に研究費を使って研究を進めて良いルールになっています。

城山:昔からそうでしたが、研究の投資効果をすぐ求める傾向がいま本当に顕著ですね。大学が税金に依存していることが本当にいいのかと考えざるを得ない状況にあります。他方、ベンチャーでは100件中1件が当たれば良いという考えから投資が行われている。そのメカニズムを考えると、研究者の世界もベンチャー型の投資の方が向いているとも考えられますね。単に民間から予算を獲得しようと躍起になるだけではなく、どのような投資管理の方法があるかを考えた方が良い結果につながると思います。

赤石:科学技術政策の分野でいくと、まず研究助成金の対象区分として、社会課題に関わるミッション・オリエンテッド型の研究と、アートのようにまったく自由な研究という2つの柱があります。日本は長年アート寄りだったのを見直した結果、いささかミッション系に偏り、自由に行える研究が極端に減ってしまったといわれています。今年からスタートした「ムーンショットプロジェクト」は千億円超の予算を投入し、「ここには予算をつけるぞ」とミッション・オリエンテッドな研究を募集しました。かたや、異なるタイプの研究者たちからは「基礎研究ができなくなるので、もっと自由な研究ができる土壌が必要だ」という要望が多数あり、今年は別途予算を確保し、いってみれば「まったく好きなことを研究」してよい、という新たなプロジェクトを創設しました。
アメリカでは企業が大学などに間接経費予算を積極的に投じています。例えば大学が共同研究で企業から100億円規模の研究開発投資を受け、そのうちの30億なり40億なりを間接経費としてもらって、好きな人が好きなように研究をする。だから、公的分野でも民間の分野でも、自由な発想で研究のできる研究者を育てる環境が成立します。アートとデザインについても、デザインで得た資金をアートに投入する、そういったところに潤沢に資金が流れる仕掛けが必要なのだと思います。

城山:その仕掛けを築くためにも、これからはビジネスや政策、研究、アートに携わる方が協働できる仕組みを作っていきたいと思います。引き続きこのような議論の場を設けられればと考えております。今後ともよろしくお願い申し上げます。

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